ITProの今日の「記者のつぶやき」に
おもしろいコラムがありました。
梅田望夫さんとまつもとひろゆきさんとの対談を聴いて記者が感じたことらしいけど、この記事を読んで私もいろいろ思うところがありました。
私が気になったところは、梅田望夫さんとまつもとひろゆきさんとの対談を聴いての記者の感想で、
それにしてもなぜこのような心を揺さぶる言葉を発することができるのだろう。自分も文章をなりわいとしているが,喚起するものがあまりに違う。記者は事実を,客観的に伝えることがよしとされている。そのためだろうかと考えたりもした。
しかしある本を読み,思い至った。梅田氏やまつもと氏の言葉が我々をはっとさせるのは,彼らが表現の技巧や修飾に長けているためではない。彼らも,彼らに見える世界をありのままに描写して言葉にしているのだ。ただ,その目に映る世界が我々の見ているものと異なるのだと。
とありました。
大学院にいたころ、教授や研究員の先輩が私の進捗や考えを聴いて、かなり飛んだ(その当時の感想です)話をしたことがあります。その後、自分でそのときの話を参考に研究の進め方を考えていると、ふと、先輩方の話していたことが理解できた。
という経験がなんどかありました。
あのときは、頭の回転が相当速くて、一瞬で先のことを考えているんだなと思っていましたが、なにか違うのかもしれません。
記事中に、こんな文面があります。
同じ風景を見ていても,彼らは我々に見えないものを見ることができる。経験豊かな猟師が獣の痕跡を見つけるように,船乗りが嵐の予兆を感じるように。
人は言葉で世界を描写すると同時に,言葉を通して世界を認識する。言葉は対象を認識するための枠組みでもある。
ビジョナリーが世界を表現する言葉を通じて,我々はそれまでそこにありながら見えなかった新しい世界を見ることができるようになる。いや,見えてはいても認識できていなかった本来のあり方に,ビジョナリーの言葉がくっきりと輪郭を与えるのだろう。だから我々は,その言葉が世界の本質をとらえていることを瞬時に理解するのだ。
われわれも見ていたのでしょう。でも、それに気づかなかったのだと思います。
大学院の経験も、単に頭の回転が速いという単純なことではなく、与えられた情報から、何が本質なのか見抜いていたのでしょう。
言葉やデータを得た際に、それらから抽象化された事象が見えているのだと思います。
頭の中に物事のモデルを瞬時に構築しているのだと思います。
最後に、
おそらく,多くのビジョナリーたちも最初から他人に見えない世界が見えていたわけではない。何かを突き詰めて,トライし,幾度も失敗したなかで,新しい世界へ続く道のようなものを見い出し,その向こうへとたどりついたのだろう。その通りなんでしょうね。考えに考え抜いた経験や体験から、物事を抽象化する法則が見えてくるようになったのではないでしょうか。
きっと、数学者もそうなんでしょう。物事が数式に見えているのだと思います。
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