まず、「視覚」ですが、センサとしての受光部である「目」というか網膜が正常に機能していれば物が見えて、認識できるかというと全く持ってそのようなことはありません。
物質が光を反射し、その光を網膜が受け、網膜からの信号を脳に伝え、脳が物を認識するというプロセスを通って物を見るわけです。
この本のまえがきに次のような記述があります。
視覚世界の情報源は光だ。光は網膜で信号に変換され、脳で映像化される。脳の中で私たちの視覚世界は形成され、「見え」という主観的な体験となる。この記述のように、「見える」ということは、個人の頭の中に形成されたモデルと網膜が受けた光との照合結果となっているわけですね。個人個人が持っているモデルによって物を見ているからこそ、見るという行為は普遍的なのではなく、主観的な物なんですね。
このような事実を裏付けるような記述が、この本の中で開眼手術を受けた人の感想として記述されています。
患者たちの大きな希望とは裏腹に、開眼手術後はじめて光を受けた印象の大半は、まぶしくてたまらないという印象に尽きるらしいこの本では、生まれたばかりの赤ちゃんを被験者として、視覚の発達に関して研究した成果を綴ってあります。
研究の結果、生得的に単純な物を認識するような機能はある程度もっている見たいですが、やはり、生まれてから学習した結果として視覚が完成するらしいです。
視覚世界は主観的であるからこそ、人の見ている物を脳にプラグを差して、読み取るといったSFとかであるようなことは難しいんだろうなと思うわけです。
でもその反面、網膜で受ける光は2次元の光の情報な訳で、それはカメラの映像も2次元の光な訳です。つまり、光を物に変換するプロセス(視覚世界のモデルの生成)によって、機械が物を見れるということが実現できるのではないかと思ったりもします。
それからもう一つ。
視覚世界は主観的であるからこそ、同じ物でも、物を見たときに受ける印象は個々によって違うのですね。だから、「この人は見ている世界が違う!」といったよくある台詞は実にもっともなことを言っているのでしょう。以前の
この記事に書いたことはもっともなことなんだなと改めて実感した次第です。
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